将軍の情報 | ||
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File not found: "IMG_3158.JPG" at page "将軍/砲兵将軍/ヒンデンブルク"[添付] | 統帥能力 | 85 |
砲兵能力 | 49 | |
爵位 | 伯爵★☆☆ | |
上限爵位 | 皇帝★★★ | |
初期階級 | 少将 | |
コスト | 勲章740 | |
HP | +60% | |
攻撃力 | +21% | |
砲兵攻撃力 | +12% | |
防御力 | +30% | |
スキル | 効果 | |
一斉射撃Lv3 | 砲兵が攻撃する時に10の追加ダメージを与える | |
強攻Lv1 | 砲兵が都市を攻撃する時に5の追加ダメージを与える | |
要塞砲Lv2 | 都市施設に滞在する時に砲兵の攻撃力が+14%される | |
警戒Lv2 | 遠距離攻撃を受けるときに被ダメージが10%軽減する | |
防御陣形Lv1 | 1マス内の陸軍の防御力が+8%される。同じスキルの効果は重ならない |
ドイツ陸軍の元帥、政治家、軍事家、第一次世界大戦でドイツの偉大な英雄だった。戦後はヴァイマル共和政の第二代大統領を務めた。
(スキル面)無課金金将の中で唯一皇帝まで上げられるので最終的な火力は高い。スキルは火力増強の一斉射撃、強攻、使い道はあまりない要塞砲、防御陣形、準死にスキルの警戒、
要塞砲、防御陣形、警戒は交換推奨(警戒は絶対交換、交換先は砲兵マスター)要塞砲、防御陣形は、地形移動を無視する森、山の戦いはおすすめ。
(爵位面)皇帝まで育つので、無課金砲兵将最強になる、その分コストが高い。
(その他)東方戦線の対ドイツ戦ではほぼ全部、出ている。征服では1914、1919で両方操作できる、歴史「普墺戦争」「普仏戦争」で使える。
パウル・ルートヴィヒ・ハンス・アントン・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク(ドイツ語: Paul Ludwig Hans Anton von Beneckendorff und von Hindenburg、1847年10月2日 - 1934年8月2日)は、ドイツの陸軍軍人、政治家。第15代陸軍参謀総長(在任:1916年 - 1919年)、ドイツ国(ヴァイマル共和政)第2代大統領(在任:1925年 - 1934年)を務めた。軍人としての階級は陸軍元帥である。議会に立脚せずに大統領の緊急令をもって政治を行う「大統領内閣」の時代に突入させている。アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、国民社会主義ドイツ労働者党政権樹立への道を開いた。
(Wikipediaより引用)
国家人民党などから「売国奴」と罵られていたグスタフ・シュトレーゼマン外相(ドイツ人民党)を庇護し、ロカルノ条約締結とドイツの国際連盟加入を実現させ、ドイツの国際社会復帰を果たさせた(敗戦から約6年後に国際復帰していると言う短期間であった)
しかし、1933年1月30日午前11時15分、正式にヒトラーを首相に任命してしまい、ドイツを暗黒の道へと進めてしまう。
ヒトラー自身、ヒンデンブルクと接見したり、代表者たちに接見させるなど、政治家としても重用されている。
ヒンデンブルクグッズが発売され大人気となった。ツァブルツェ市(現・ポーランド領ザブジェ市)は、1915年から30年間にわたり「ヒンデンブルク市」と改名しただけでなく、各都市の大通りや軍艦などに彼の名前が冠されていた。例として巡洋戦艦「ヒンデンブルク」(1915年進水)、ヒンデンブルク号爆発事故で知られる飛行船「ヒンデンブルク号」がある。また各地に彼の像が設置された。夫妻が隠居先として選んだハノーファーでは大々的な歓迎式典を行っただけでなく新居を贈り、市民達は「われわれのヒンデンブルク」と誇った[172]。大統領当選後には彼の80歳の誕生日を祝う式典が各地の市民により自発的に行われた。ナチス・ドイツ時代にもヒンデンブルクの顕彰は引き続き行われたが、ヒトラーへの権威や伝統の継承・融合など、ナチ党に都合の良い側面が強調された。
「未だ士官学校の生徒だった頃、初めて菓子と卵入りのクリームを欲しいだけ食べてよいと許された時だ」(大統領当選時に内外の新聞記者団を招待し、記者から「元帥の一番の思い出の日は何ですか?」と質問された際の回答)
「あの男をわしの下で首相にしろというのか?奴は郵便局長あたりがうってつけだ。わしの肖像画のついた切手でも舐めるがよい!」(ヒトラーとの会談後、オットー・マイスナーに漏らしたヒトラーへの感想)さらにヒトラーの事を「ボヘミアの上等兵」と毛嫌いしている
「ルーデンドルフよ。お前の部下は何と見事な行進をするではないか。それに何というたくさんの捕虜だろう」(ヒトラーの首相就任を祝う突撃隊のたいまつ行進を見たヒンデンブルクがつぶやいた言葉)